海辺のカフカ 〜風の歌を聴いた日〜
ヤンゴンの街を散歩していると興味深い景色にたくさん出会うことができる。
この日は海の近くを散歩してみることにした。
少し寂れた道を通っていく。
海の匂いが微かに鼻をかすめる。
現地の人々の生活をしっかりと感じることができる。
観光も良いがこうやって目的もなく街を歩くのも面白いものだ。
サッカー少年たちが道路でサッカーをしている。
高校生くらいの青年から小学生くらいの少年まで
様々な年齢層で行われていた。
彼らの人生は今後さまざな形で進んでいくだろう。
港に着くと船がたくさん並んでいる。
何処か知らない場所に連れて行ってもらいたくて
船に乗り込む。
私の旅は風のように雲のように気の向くままに進んでいく。
船から追い出されてしまった。
理由はわからない。
旅とは風にように雲のように気の向くままには
なかなか進まないようだ。
仕方がないので適当にぶらついて時間を潰す。
どこの港もそうかもしれないが
夜になると何処からともなくカップルが夜光虫のように湧いてくる。
全員海に蹴り落としたい気分だった。
寺院もライトアップされ美しいコントラストを描く。
暖かい東南アジアの風が私を包み、一人の夜の寂しさを忘れさせてくれる。
晩御飯は久しぶりに日本風のカレーと餃子である。
やはり日本の味付けは最高だ。
母国の味が私の心にスッと溶け込む。
その感覚はベートベンのピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調「月光」を
聴いてるかのようだ。
夜にも関わらず人は多い。
寝むらない街とはこのことを言うのだろうか?
人の多さと反比例して私の心は孤独に掴まれる。
何度も振りほどこうともがくが状況は変わらない。
私はふと夜空を見上げる。
暗くて何も見えない。
ただ、微かに笑っているように見える。
それが実際のものなのか幻想なのかは判断できない。
ただ一つ確かなことは私の心はこの闇に恐怖と興奮を感じているということだ。
まるでスタンリー・キューブリックの映画を見ているかのようだ。
風が歌っている。
風が呼んでいる。
風が泣いている。
風が笑っている。
あれ?文章おかしくない?
いつにも増してうざくない?と思ったあなた。
今回の記事を書く前に私は村上春樹の小説を読んでいた。
つまりべらぼうに影響されている。
今一度読み返して見た。
素人がイチローのフォームに影響を受け打席に立ってはいけない。
今の私は風の歌について考える前に
目の前に転がる預金通帳の残高について深く考える必要がある。
※村上春樹さんとハルキストの皆さまには深く謝罪を申し上げます。