もしも仕事を辞めた無職が世界一周してみたら

無職になった若者が世界中を旅して成長していく過程を見れるだろうブログ。

令和が始まったらしい

まさか異国の地で新年号を迎えるとは思わなかった。

ネットの記事や日本にいる友達から令和が始まったというニュースを聞くが海外にいるとあまり実感がわかない。

とはいっても少し興奮してか朝起きてフロントのお姉さんに「日本は新しい年号に代わったんだ!」と言ってみた。

私の拙い英語のせいか全く通じていなかった。

こんなにもわかりやすく困った顔をされたのは初めてだった。


f:id:reitabibito:20190501155244j:image

 

令和が始まれば平成は終わる。

始まりがあれば必ず終わりがある。

 

最近、医療についての本を読んでいて人間の死に際について深く考えさせられる機会があった。

 

普段、生きていて死ぬことについて想像もしない。殆どの患者さんもそうらしい。なんとなく永遠に続くような気がしていた「生」が医者の言葉で「死」を実感させられる。

 

だから重い病気を宣告された時、とても取り乱してしまうし、今までの人生の様々な後悔が溢れ出してくる。

 

そんな後悔で一番多いのは「もっと自分らしく生きればよかった」だそうだ。

人生でやりたいと思ったことは、いつになっても心を去ることはないという。

死ぬ間際までそんなことを思い出させるなんて人の体も良くできたモノである。

 

社会人をしていた頃、私は仕事で病院によく出入りしていた。

病院を出入りした経験がある人はわかると思うがあの空間は本当に重い。

生きていて「死」を目の当たりにする機会は少ない。なぜなら病院という隔離された空間に「死」が集められているである。

だからこそ普段生きていて「死」を意識しない。

「死」を意識しなければ「生」も意識できない。よく言われる話だなと笑う人もいるかもしれないが、今を自分を大切に生きるためには結構大切な考え方だと思う。


f:id:reitabibito:20190501160221j:image

私は現在、幸いにもやりたいことをやらせてもらってる。

残念ながらこんだけやりたい放題させてもらってると死に際に後悔を言いずらいという悩みがある。

「もっとやりたいことやっときゃよかった」と言えば「やってたやん」つっこまれそうで怖い。最期に頭を叩かれて死ぬのはごめんである。

だから一つくらいは後悔を残して死ぬことにしよう。


f:id:reitabibito:20190501160129j:image