もしも仕事を辞めた無職が世界一周してみたら

無職になった若者が世界中を旅して成長していく過程を見れるだろうブログ。

ここはどこ? オールナイトフィーバー!!

クラブミュージックが爆音でなり響く。
暗く狭い密室で男女が大声を出しながら躍り狂う。
真夜中だがその空間にいる人々は昼間よりも激しく活動している。

ここは六本木でも渋谷でもない。
キルギスである。

さらに言おう、ここは車内である。

乗り合いタクシーの中である。


私は目の前に広がる光景に唖然としていた。
正直言うと「うるさいよ!寝かせろよ!運転に集中してくれよ!」という気持ちだった。

車内で静まりかえっていたのは私と隣に座るケント君とその前の三人席に座っていた滝藤賢一似のキルギス人だけだった。

我々はまだ一番後ろで息を潜めるように座っており事なきを得ていたが、滝藤賢一に至っては真横の人間がぎゅうぎゅうの車内で手を振り回して叫んでいる。

それでも滝藤は名役者のごとく目の前をただじっと見つめていた。
なかなかに渋い演技をするじゃないか。

 

車内が盛り上がるにつれてふつふつと恐怖が沸き起こってくる。

この雰囲気は...こっちにも流れ弾が飛んでくる!

くるな!くるな!という願いは虚しく、案の定悪魔の囁きが聞こえてくる。

 

「盛り上がってるか日本人?」

無視することもできた、寝たフリをすることもできた。

しかし、私はエンターテイナーである。

求められた発注には全力で答える。

 

苦笑いをしながら遠慮がちに「イエス」と答える。

パーティー野郎共はシケた日本人だと思ったに違いない。

次の瞬間、私は尊敬している日本最高峰のエンターテイナーである江頭さんを彷彿とさせるような動きを魅せる。

 

パーティー野郎は驚いた顔を見せた。そしてその顔はみるみるうちに喜びの表情に変わる。

車内は一番の盛り上がりに達した。

ここまできたら大和魂をみせてやると曲の合いの手を私は入れ始めた。

 

そして「それ!それ!」と叫んだ瞬間、車内が爆笑に包まれた。

助手席に座っていた男は比喩も誇張もなしに膝を叩いて笑っていた。

人生で一番ウケた瞬間である。

 

それからというもの「それ!それ!」と言うだけで爆笑をとれた。まさに魔法の言葉である。

パーティー野郎共はこぞってこの言葉を真似した。「それ!それ!」の大合唱である。

いつしか我々は「それ!それ!」だけで会話するくらいになった。

 

一人の男が「それ!それ!」 ってどういう意味だ?と尋ねてきた。

なんと伝えていいか分からなかったので「日本のソールワードだ!」と嘘の情報を教えてしまった。キルギスで「それ!それ! 」と話しかけられたら私のせいである。申し訳ない。

 

気を良くしたパーティー野郎共は店を見つける度に車を止めて酒を買い、我々に飲ませてきた。正直もう眠たかったし、こんなにも飲めないと辛い気持ちもあったがミュージックはお構いなしに鳴り続けた。

 

エンドレスに続く騒乱の中、滝藤だけが黙って前を見ていた。

彼は何を思っていたのだろうか?


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珍しく女性から写真を要求されたシーン。
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令和が始まったらしい

まさか異国の地で新年号を迎えるとは思わなかった。

ネットの記事や日本にいる友達から令和が始まったというニュースを聞くが海外にいるとあまり実感がわかない。

とはいっても少し興奮してか朝起きてフロントのお姉さんに「日本は新しい年号に代わったんだ!」と言ってみた。

私の拙い英語のせいか全く通じていなかった。

こんなにもわかりやすく困った顔をされたのは初めてだった。


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令和が始まれば平成は終わる。

始まりがあれば必ず終わりがある。

 

最近、医療についての本を読んでいて人間の死に際について深く考えさせられる機会があった。

 

普段、生きていて死ぬことについて想像もしない。殆どの患者さんもそうらしい。なんとなく永遠に続くような気がしていた「生」が医者の言葉で「死」を実感させられる。

 

だから重い病気を宣告された時、とても取り乱してしまうし、今までの人生の様々な後悔が溢れ出してくる。

 

そんな後悔で一番多いのは「もっと自分らしく生きればよかった」だそうだ。

人生でやりたいと思ったことは、いつになっても心を去ることはないという。

死ぬ間際までそんなことを思い出させるなんて人の体も良くできたモノである。

 

社会人をしていた頃、私は仕事で病院によく出入りしていた。

病院を出入りした経験がある人はわかると思うがあの空間は本当に重い。

生きていて「死」を目の当たりにする機会は少ない。なぜなら病院という隔離された空間に「死」が集められているである。

だからこそ普段生きていて「死」を意識しない。

「死」を意識しなければ「生」も意識できない。よく言われる話だなと笑う人もいるかもしれないが、今を自分を大切に生きるためには結構大切な考え方だと思う。


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私は現在、幸いにもやりたいことをやらせてもらってる。

残念ながらこんだけやりたい放題させてもらってると死に際に後悔を言いずらいという悩みがある。

「もっとやりたいことやっときゃよかった」と言えば「やってたやん」つっこまれそうで怖い。最期に頭を叩かれて死ぬのはごめんである。

だから一つくらいは後悔を残して死ぬことにしよう。


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タジキスタンからキルギスへ

タジキスタンの首都ビシュケクに移動した。
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ペンジケントからタジキスタンの首都ドゥシャンベに移動するまでの車内から見える景色は絶品である。
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中央アジアではもっとも貧しいと言われているタジキスタンだが首都のドゥシャンベは結構綺麗に整備されていた。

 

ドゥシャンベ観光もしっかりと行い

キルギスに出発する。

ここでの乗り合いタクシーも3時間のくらい待ちに待った。

途中何度も荷物を乗せたり人が乗ったりと

出発の兆しを見せるものの全てフェイントで動き出すことはなった。

 

待ちぼうけである。

日本にいた時は常に時間を気にしていた。

交通機関が遅れればイライラしたし、行列なんて絶対並べない。

ある意味、旅人的な資質に欠けた私だったが

インドの電車や中央アジアでの移動により少しだけ待てる人間になりつつある。

世界の時間感覚に近づいてきている。

日本に戻ったら大変そうだが。

 

必然的に空を見上げる時間が増えた。

ハーモニカでも買って、スナフキンにでもなろうか。


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恐るべき追跡者

ウズベキスタンからタジキスタンのペンジケントに移動するのだがこれがなかなか大変であった。

 

タジキスタンキルギスは電車やバスなどが発達していないため長距離の移動は基本的に乗り合いタクシーというもので行われる。

6人乗りの車に客が集まり次第出発するシステムである。
2、30分程待てば集まると油断していたが
1時間待っても2時間待っても人が集まって来ない。3時間以上待ってようやく出発した頃には
待っているだけなのにヘトヘトになっていた。

春休みのディズニーランドでもこんなにも待たなかったと思う。

やっとの思いでタジキスタンに到着したのだが
ここで恐怖の体験をすることになる。


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ATMでお金をおろしていると小柄な男が近づいてきた。
そして、いきなり画面を触ってきたのである。
しかもとびきりの笑顔で。
「どけ!」と注意しながらなんとかお金をおろしおえると、その男は我々が持っているお金を見てニコニコと頷いている。

お金を狙ってると思った我々は彼から逃げることにした。

今後彼のことをリトルタイラントと呼ぶ。

速足でリトルタイラントから逃れようも試みるも、彼は余裕で着いてくる。
彼はいつもにこやかであった。
そして現地の言葉でずっと話しかけてきた。

「^×÷=//×@=/_/」

最初のうちは何を伝えようとしているのか理解しようとしていたがサッパリ理解できなかった。

いくら無視しても健気に着いてくる彼のことを
なんだか良い奴なんじゃないかと思い始めてきた。
しかし、タジキスタンのペンジケントで石を投げられたというブログの記事を見ていたのでやはり警戒心は拭えない。

 

我々は走って逃げることにした。
合図と同時に走り出す。
追いかけっこは小学生以来である。
200メートルほど全力で走り、やっと撒けたと思いケント君のほうを見て「あいつ何者やねん」と声をかけるとリトルタイラントはケント君の後ろに平然といた。
本当に何者なんだ。


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そこから我々はリトルタイラントの訳のわからない言葉で行われる漫談を聞き相づちをうち、たまに「もう帰ってくれ」と語りかけ、たまに彼を撒こうと小走りをしながら2キロくらい歩いた。

 

リトルタイラントが友達に思えてきた一方で
彼は道端で会う怪しげな男たちに声をかけ我々を指差し笑っていた。
「こいつらカモだぜ。人通りのいないところでボコボコにして金でも巻き上げよう」と言ってるようである。(知らんけど)

我々は恐ろしくなりもう一度、走って逃げることにした。


合図と同時に走り出す。
100メートル、200メートル走る。振り返ると奴は笑顔で追いかけてくる。
バザールがあり人通りの激しい道を見つけ、

人を掻き分け逃げる。


もう怖くて後ろはふりむけない。
リトルタイラントの笑顔が頭にこびりついている。

走り続けた我々が到着したのは
廃墟と化したテーマパークであった。


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ボロボロになって錆びだらけの建物を見ると少し恐ろしい気持ちになる。

ソ連時代に作られたテーマパークなのだろう

当時の賑やかな写真も飾られており、いっそう寂しさを掻き立てる。

 

霧がかった天気もあいまって、バアオハザードのような世界観である。

 

後ろから足音が聞こえる。

私は後ろを振り返ることができない。

振り返れば奴がいる

歴史の街 カトマンズ

タシュケントからカトマンズに移動したのだがカトマンズもこれまた素晴らしい場所である。


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カトマンズとは日本で言うところの京都にあたる場所である。
歴史的な建造物がたくさんあり、観光地としても有名だそうだ。

しかし何を隠そうこの頃、私はお腹の調子がすこぶる悪かった時で正直観光どころではなかった。
世界遺産を探す前にトイレを探していたほどだった。

ご飯もろくに食べれなかったので痩せ細り、元気もなくなっていた。


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お腹を治したい一心でなりふり構わず神に祈りを捧げていた。
なんなら本物のムスリムより神に祈っていたかもしれない。


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それでも気合いを入れて外に出て、トイレというセーブポイントを渡り歩きながらなんとか観光を続けていた。


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この素晴らしいモスクが大型のトイレだったらと思ったのは世界中探しても私くらいのものだろう。

美しすぎるウズベキスタン

パキスタンのラホールで遺跡や巨大モスクを

一通り見て、次に目指すのはウズベキスタンである。


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飛行機でウズベキスタンタシュケントに到着したのだが開いた口が塞がらなかった。

なんて綺麗な街なんだ。


今までインド、バングラデシュ、ネパール、パキスタンと様々な国の土地を踏んできたが
お世辞にもどの国も綺麗さとはほど遠かった。

ウンチを踏まないよう常に下を見ながら歩かないといけなかった。

 

ラクションの嵐で鍛えられた私は

真後ろでクラクションを鳴らされたところで

全く驚かない図太さが身に付いていた。

他にも、物を盗られた時、誰が盗ったかわかるように周りを歩いている人間の顔を覚えるという能力も私は身に付けていた。

しかし、そんな能力はここでは必要なさそうだ。

 

ウズベキスタンは今までの国とは全く雰囲気が異なっていた。
人種もスラブ系の白人がメインである。
そして町並みもヨーロッパのような美しく整っていた。
もちろんクラクションもなり響いていない。


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綺麗な街に感動する一方で

インドなどのエキサイティングで騒がしい街も

恋しくなったりする。

本人に危険?パキスタン!

ここ最近、はてなブログにログインが出来ず

久しぶりの投稿になってしまった。

 

今回はパキスタンについて書こうと思う。

 

パキスタンと聞くとなんだか
危険な響きである。
実際、外務省の渡航レベルの危険度も高い国である。

さらに一ヶ月ほど前にインドとパキスタンの間で大規模な戦闘があった。

 

インドにいる我々は陸路でパキスタンに行くことが出来るのかはとても切実な問題であった。

日本でパキスタンから次に向かう予定のウズベキスタン行きの飛行機チケットを買っていたためどうしても行かなくてはならない。

インドでパスポートを見せたときに
パキスタンのビザが張ってあるのをインド人が見ると皆嫌そうな顔をして、「本当に行くのか?」「やめとけ」と言ってきた。

そういえばインドのバスで流れていた映画の内容がパキスタンとの戦争の話であった。
主人公のインド軍人がパキスタンの軍人を殺しまくっていたのが印象的だった。

国境に向かうが内心撃たれるんじゃないかと
ドキドキである。
国境が閉められているかもしれない。

情報がないので当たって砕けるしかない。

 

しかし、心配したかいもなく

国境に向かうと意外なほどあっさりと通れた。

国境を通るさいに書く名簿を少し見てみたが
インド人とパキスタン人がほとんどで
外国人はほとんどいなかった。


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バス貸しきり状態。


そんなこんなでパキスタンに入国したが
思っていたよりも安全な国である。
もちろん、治安が決して良い訳ではないが
銃弾が入り乱れているなんてことはない。


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この日はゆっくりと休み、明日の観光に備えよう。

お尻から滝

インドに1ヶ月以上いたが

実は大きくお腹を壊したことはなかった。

 

無事にインドに別れを告げた訳だが

4日程前からお腹の状態が急変してきた。

大便をしても塊が出てこないのである。

まさに激しい滝が流れ出る感覚である。

言うならばお尻から小便が出てるのである。

この惨状を私はただ耐えるしかない。

 

病院に行こうにも海外保険に入ってないので

行けない。

大きな病だったらと怯えながら夜な夜なトイレに向かっている状態である。(今も)笑

 

幸い、今の宿に他のお客さんがいなく

大きな部屋を使い放題なので療養には最適である。
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昨日の夜は特に便意がスゴかった。

それと同時にトイレットペーパーの残量も

少なかったので、涙と大便が同時に

出そうになった。

 

計算が苦手な私だが

残りのペーパーの量と

お腹に貯まっている滝の水位を

こと細かに計算して戦っていた。

勝敗は皆さんの想像にお任せしようと思う。

 

今日はしっかりと休養しなければ。。。

ん?

再び滝が流れ始める予感がする。

祭り祭る ホーリー祭

インドにはとても面白い祭りがある。

その名もホーリー祭である。

 

ホーリー祭(Holi)とは、インドやネパールのヒンドゥー教の春祭りである。春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝うものらしい。

 

インドでは今なおカースト制度

影響が色濃く残っている。

しかしホーリー祭の時だけはカーストによる

身分も関係ない。

飲み会で課長が「今日は無礼講だ」と言うが

バリバリに無礼が許されていない日本とは違い、本当に無礼講なのである。

外に出れば逃げ場はない。

「待った」は許されない。

 

私はホーリーを舐めていた。

というかちょとした祭りがあるくらいにしか

考えていなかった。

 

ドミトリーから一歩出た瞬間、

粉が飛んでくる。

さらに塗りたくられる。
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町を歩けば子供たちから襲撃を受ける。


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ちなみにこの顔の黒さはペイントである。

いくら私が色黒だからといって間違えないでほしい。

 

上から色つきの水が滝のように降ってきた。

異常気象だと上を見上げればバケツを持った

おばさんが笑っている。

 

「ハッピーホーリー」この魔法の言葉を言えば

この日に限っては概ね何をしても許されるみたいだ。


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広場に行くと

爆音と共に躍り狂う人々がいる。
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人々はかなり興奮している。

日本ではクラブなどパーティーピーポーの

巣窟にはあまり縁がない私だが

ホーリーの熱気に感化されてか

インド人と共に躍り狂っていた。


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綺麗な白人の女性に何度もちょっかいを

かけているモテなさそうなインド人もいた。

自分を見ているようで悲しくなる。

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身分も性別も年齢も関係ない。

みんなが様々な色になる。

どんな色にもなれる。

カーストによる階級社会を越えたい。

もしかしたらそんな願いも込めて

この祭りは始まったのかもしれない。

ヨガを極めし者

ヨガの聖地リシュケシュ

インド国内の左上に位置する町リシュケシュ。
この町はヨガの聖地として知られている。
世界中からヨガを学びに人々が集まってくる。
かのビートルズも修行に訪れたという。
ちなみにリンゴスターは食事があわないとすぐに帰ったらしい。


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町を歩けば至るところにヨガのクラスがある。

外国人の姿も多く見かける。日本人らしき人も歩いていた。
そのような人々もただの観光客というよりは
ヨガを極めに来たぜという意気込みを感じる
個性的な人々が多かった。

ここで数日間、私自身もヨガや瞑想のトレーニングを行ったいた。

心身共に以前より成長している気がする。

まぁ言うぶんにはタダなのでそういうことにしてほしい。

 

朝起きると泊まっているドミトリーの屋上で
行われるヨガクラスに参加する。
恐らく基本的な動きなのだろうが
ヨガ初心者かつ体の固い私にとっては
なかなか難しい動きが多かった。

先生が行うポーズを真似するのだが
どうやったらそんな風にポージング出来るのか
理解に苦しむものもいくつかあった。
片足で立つポーズの際に激しく転んでしまった時は先生がツボにハマってしまい一瞬中断してしまったくらいであった。

それでもヨガの最後に行う仰向けになってリラックスするポーズは心のそこから気持ちよく穏やかになった。
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町の中心にガンジス川が流れているので
その近くに行き、そこでたっぷりと瞑想も行った。心を無にするというのも中々大変ですぐに
思考をしていまう。


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こんなにも私は煩悩だらけの人間なのかと呆れてしまうくらいである。

その後、インドに来て恒例になっている
ガンジス沐浴を行い、身を清める。


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衛生的には決して清まっていないのだろうが
心は綺麗で美しくなっているはずである。

それはそうとドミトリーのルーフトップが味のある空間であった。
はっきり言って汚いのだが、学生時代の屋上を思い出させてくれた。


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結構、長い時間ルーフトップで日々すごし
なんともノスタルジックな気分に酔っていた。
あぁ、あの頃は青かったなと学生時代を思い出してにやける。
最高に贅沢な時間である。


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ちなみに私は学生時代、
屋上に行ったことがない。

インドの寝台列車は戦争

土地の大きいインドを移動するためには

寝台列車か夜行バスを使用しなければならない。

もちろんお金があれば飛行機で移動するのがベストであるがそんなのは旅人とは認めない!

断じて認めない!

しかし、次インドに来る頃には

飛行機でびゅんびゅん飛び回れるほどの

財力が欲しいものである。

 

とにもかくにも我々は寝台列車を多用していた。寝台列車と聞くと日本のカシオペアのようなものをイメージするかもしれないがそんな生易しいものではない。


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汚くて臭くて虫もいてキレるおっさんもいて

とにかく戦場なのである。

 

しっかりと指定席のチケットを買い、三人席の椅子に座っていると途中の駅でおっさんが乗ってきて俺も座りたいから詰めろと言ってきた。

なんでもこのおっさん指定席券を持っていないらしい。

私が無視していたら声を荒げてきた。

私の両隣に座っていたインド人もそのおっさんに言い返すとおっさんは発狂しだした。

「%@$#&*!^&!!!!」

こちら側も負けじと応戦するもおっさんの気迫に負け、ただでさえぎゅうぎゅうの三人席に四人座ることになった。

それでも怒りが収まらないおっさんはブツブツ文句を言っていたがこっちの台詞である。

 

他のエピソードといえば寝台列車のベットで寝ていると夜中に起きたことがあった。

足下に荷物があり、窮屈だったので荷物の上に足をドンと置いて寝ることにした。

足を置いた瞬間、何か呻き声が聞こえる。

それに荷物が生暖かい。上下もしている。

荷物を確認するとそれは荷物ではなく知らないおじさんだった。

 

私の人生でも上位に食い込むほどビックリしたのは言うまでもない。

 

足を乗っけてしまい申し訳ない気持ちになったがすぐ何勝手に俺のベッドに侵入してくれてんだと思いなおした。

 

そんなこんなでハチャメチャな寝台列車だが

面白いこともある。

外国人が相当珍しいのか

写真を撮ってくれとせがまれたり、子供を抱いてくれとお願いされたり、あげくの果てにはこっそり盗撮されたりとスゴかった。


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盗撮意外と気づくのでみんなも気を付けよう。

 

 

現在ネパール 素晴らしい国


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様々な苦難があったが現在、私はネパールで

平穏な日々を過ごしている。

 

ネパールに来るまでネパールの人々には申し訳ないがあまりイメージがない国のひとつであった。

 

漠然とヒマラヤ山脈、エベレストがある国くらいのイメージだった。

しかし、過ごしてみるとわかるのだが

物価も安く、静かで、おしゃれな店もたくさんある結構素晴らしい国である。

 

二泊くらいでインドに戻るかなんて思っていたが気づけば一週間も滞在している。

バカンスに訪れるにもかなりよい場所である。大学生にはおすすめである。


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ヒマラヤ山脈を見に

バイクで山道を登ったのだが

とてもじゃないがバイクで登れる道ではなかった。完璧にグーグルマップにやられた。

何度もおとずれる死線を乗り越えて我々は

ヒマラヤ山脈の絶景が望める頂まで到着した。


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しっかりと雲がかかっていた。

我々は時たま雲から除くヒマラヤ山脈を見て

感動したふりをした。

 

帰り道も安全運転を心掛けて運転していた。

そしてしっかり事故った。


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山登りは歩きでいこう。

 

パソコンも壊れた!これはマズイ!

しばらくの間、ブログの更新が出来ず

あいつサボってるなと思われていたかもしれないがまたもや緊急事態が起きていた。

 

タイトルにも書いてあるが携帯が盗られたあげく、パソコンまで壊れてしまったのである。

電源をつけても起動しなくなった時の私の

顔ときたら絶望そのものであった。

是非、ムンクに描いてほしかった。


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そんな絶望の日々を少し過ごした後、

ついに携帯を購入したので

早速、ブログを更新していこうと思う。

 

前回の続きバングラデシュについてだが

 

バングラデシュの首都ダッカを一言で表すなら「人が多い」の一言に尽きる。

夜になっても大量の人が街中を歩いており活気にあふれている。

竹下通りを歩いているのかと錯覚してしまうほどである。


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今まで行った国の中で最も物乞いの根性もある。


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すごかったのは何回断ってもずっと着いてくる物乞いの少年である。

1キロくらい歩いても着いて来て、最終的にはホテルまで着いてきた。

ものすごい執念である。

 

ATMの前でお金をおろそうと立っていると少年達に囲まれたこともあった。

 

最初こそこの人の多さなどに疲れたところもあったが

慣れてしまうとこの活気が楽しくなってくる。

静かにバカンスを楽しみたい方には向いていない国だが人のたくましさや活気溢れる街が好きな人にはオススメの国である。

 

現地に住んでいるホテルのスタッフに聞いてもダッカにはあまり観光地らしいところはないとのことだ。

 

電車などを使い、我々はモスクや教会、川沿いなどに足を運ぶことにした。


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生きることに疲れたとき、この国の人々のパワーを体感するために再びこの地に降り立つかもしれない。

 

そう思わせてくれる素敵な国であった。

インドからバングラデシュへ ハチャメチャ夜行バス

携帯をなくした失意の中、バングラデシュに向かったのだが

その道中にもユニークな出来事がいくつかあった。

 

バングラデシュではテロが度々起きているようで

かなり警戒されている。

 

バスに乗り始め丁度うたた寝しかけた時に外が賑やかになりだした。

バスが止まると勢いよく軍人が乗り込んでくる。

荷物、パスポートなどのチェックをしていく。

結構、これが時間を取る作業で乗客としては寝る暇もない。

到着までに三回も軍人が乗り込んできた。

海外で何度も夜行バスを使い、軍人のチェックを受けて来たが

こんなにも頻繁に検査されたのは初めてである。

 

行く手を阻まむのは軍人だけではない。

道もすごい。

ガタガタでやたらと道幅も狭い。

バスに乗ってる間、ずっとヘヴィーメタルバンドのコンサートに来てるんじゃ

ないかと思わされるくらい頭を上下に揺さぶられる。

 

一度大きな音ともにバスがスゴイ揺れて傾いた。

一向に動き出す気配もない。

外の様子を見てみるとタイヤが溝にはまってしまい動けなくなったようだ。

待てど暮らせど車は動かない。結局、復旧までに1時間以上がかかった。

バングラデシュの道は末恐ろしい。

 

しばらくして休憩所に到着する。

休憩所といっても食事処やトイレがあるわけではない。

ただの道端である。

私はおしっこをするために塀の壁に向かった。

気持ちよく用を足していると何だか視線を感じる。

それも目の前である。

目線の位置を股間から正面に向ける。

目の前に目がある。鼻もある。口もある。人がいる。

ちょっと首を伸ばせばチューもできる。

腰高の塀の上にやたら目の大きいおじさんがうんこ座りをして、

私を見ている。

私は震え上がった。

あまりに怖すぎて、おしっこが靴にかかったぐらいだ。

 

遠くからは暗くて気がつかなかったようだ。

それにしても申し訳ないことをした。そんなことを思っている今も目が合っている。

不慮の事故とはいえ、目の前でおしっこをして申し訳ない気持ちと

なぜ黙って私を見つめているんだ?という恐怖で私は震えていた。

 

こんだけ近いと恐らくおしっこのしぶきも飛んでいるだろう。

怒られるのを恐れて私は急いで逃げようとした。

すると彼は私の手を掴んでくる。

 

殴られると思って振り返ると彼は「チップ」と言ってきた。

私は思わず「なんのやねん!」と日本語でツッコンだ。

 

 

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土煙対策

 

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バングラ到着。屋根にも人が。

 

インドの警察署へ行く

ここで皆さんに報告しなければならないことがあります。

若気の至りからか

インドで禁止されている薬物を服用してしまい、

収監されることに決まりました。

 

なんてことはまるでなく、健全な旅を続けていた私は

iPhoneを盗られた旨を伝えるべく警察署に向かった。

 

受付に到着するもなかなか話を聞いてくれる気配がない。

『携帯盗られたんだけど』と言っても

『ちょっと待っとけ』で済まされる。

 

警察署内にはおじさん警察官が一人とお兄さん警察官が一人がいた。

バッチの数を見てみると若い警官の方が階級が上のようだ。

見た所、窓際係長とエリート新人といったところだろう。

私を担当するのは残念ながら窓際係長のようだ。

というかエリート新人が窓際係長に『めんどくさそうだからお前やれ』と

仕事を振っていた。

 

やっと自分の番が回ってきて携帯を盗られた場所や経緯を説明すると

窓際係長は『そこは俺らの管轄じゃない。違う警察署に行け』と言ってきた。

こんだけ待たされてそんなことはあってはならない。

『お願いしますよ!!係長!!』とこちらも食い下がっていると

私の情熱に負けたようで手続きの準備をしてくれた。

 

『その間も携帯をポケットに入れてるから盗られるんだ!』

『気をつけろって言っただろうが!(初めてあったのに)』など

なぜかめちゃくちゃ怒られた。

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怒る窓際係長。しょげる私。

 

その後、手続きの過程で私と係長は何やかんや仲良くなっていった。

中でも名前を告げるとバカウケした。

もうこれでもかってくらいにウケた。

自分の名前がこんなにもウケたのは初めての経験である。

こんなにも人を笑わせるのは簡単に思ったことはない。

私の名前きっかけで私と係長はすっかり打ち解けることができた。

 

その後の聴取は笑いを交えてスムーズに進む。

時々『お前の名前は?』と聞かれそれを答えて大爆笑が起きるという

お決まりのパターンを作り出したほどである。

 

一人の小太りの男が入ってきた瞬間、署内の空気が一変した。

数人の警官を引き連れて入ってきた男、そうそいつは所長である。(おそらく)

所長は入って来ていきなりエリート新人を叱りつける。

 

仲良くなりあんなにも優しくなった窓際係長も

所長が姿を表すと急に厳しくなりだした。

ひどい豹変ぶりである。

 

人間の怖い部分をしっかりと体感した上、無事に聴取が終わり

盗難届みたいな紙を貰うことができた。

 

兎にも角にも海外では携帯の盗難には気をつけよう!

旅の良い教訓になった出来事である。